国立大学法人 岡山大学大学院教育学研究科 国吉康雄記念・美術教育研究と地域創生講座
対象者数 240名 | 助成額 221.3万円
Programテーブル・ロール・プレイング・ゲームを通して学ぶ物語の作法
~ アナログゲームシステムで養う「思考する力・対話する力・他者と協働する力」
本講座はニューヨークで活躍した洋画家で人権活動家の日系労働移民、国吉康雄(1889〜1953)の研究と顕彰活動を通して、従来型の美術史領域を中心とした範疇では及ばない、近現代の社会事情と芸術表現を結び付けた発信を、学際的な知見の導入や物語性を意識した企画、SDGs課題と結び付けた展覧会やアートイベントを、地域や各種団体との協働により展開している。
本プログラムでは、テーブル・ロール・プレイング・ゲーム(TRPG)というアナログゲームシステムに、現代社会が抱えるさまざまな課題や、その歴史的背景を盛り込み、参加者がその理解と議論を促す物語構成と、運営上のシステム、ルールに加え、多様な芸術表現をプログラムに組み込んだ講義用のオリジナルTRPGを開発。他者との協働によってゲームは進行する仕組みを有するこのTRPGでは、参加者は、他の参加者やゲームを進行するファシリテーター(ゲームマスター)との対話によりゲーム内でのアクシデントの対応を確認、自身で判断することとなる。
開発するTRPGを核とした講義を実施することで、受講生の対話と探究、他者との協働する力を養い、現代人に求められる、「答えがなく対処困難な課題に耐える能力、ネガティブ・ケイパビリティ」の習得プログラムに発展させていく。
活動レポートReport
独自に開発された教育コンテンツ「言の葉の探究者たち」
「お前たちの生きる目的は?」
ゲームの進行役を務める講師の質問に、ある受講生が答える。
「全ては大樹(ゲームのキャラクタ―)のためだ」
もう一人は強い口調で質問を返す。
「そもそも生きる目的など必要なのか?」
これは岡山大学大学院教育学研究科 国吉康雄記念・美術教育研究と地域創生講座がオリジナルで開発した「言の葉の探究者たち」というテーブル・ロール・プレイング・ゲーム(TRPG)の一コマ。ゲームのストーリーは、奪われてしまった「物語」という言葉を取り返すために、人間たちが異界の者と手を組み、言葉を武器に冒険をするというファンタジーだ。受講生たちは、与えられたシナリオに沿って役を演じているのではなく、自身で作り上げたキャラクターに相応しい言動をその場ごとに選択し、協力しながらゲームを進めていく。
TRPGとは物語の進行をコンピュータに委ねることなく、参加者同士の対話だけで展開させていくアナログゲームのこと。1970年代中盤~80年代にかけてアメリカなどで流行し、その後デジタルRPGの発展に伴い下火になったが、近年のコロナ禍により、オンラインツールを利用したブームが再燃している。
同講座では、このTRPGを利用した新しい形の講義を実施している。6人の受講生プレイヤー(ナラティブメイカー=物語を作る者)に、講師とティーチングアシスタント(TA)2人が進行役(メディエーター=仲介者)として加わり、8人のグループを組んでゲームを進める。それぞれのプレイヤーの性格や能力はまちまちで、所属学部もなるべく異なるように組んでおり、ゲームの進行具合もグループごとに異なる。ストーリー自体にも正解はないので、グループの数だけ独自の「物語」が創造されることになる。
大学の講義にTRPGを取り入れるきっかけとなったのは、新型コロナウィルス感染症だったという。
「コロナ禍の影響で直接の会話機会が減少したことは、学生たちのコミュニケーション活動に少なからず影響を与えています。より豊かなコミュニケーション能力を育てる講義が必要なのではと話し合う中で、物語を基盤としたプログラムを作ってみようという発想が生まれました」と語るのは、本プログラムの開発・運営に携わる才士真司准教授。当初はデジタルゲームの開発も計画されたが、画面越しのマスク顔よりもなお表情が読み取れないデジタルのドット絵では意味がないと考え直し、TRPGの開発にたどり着いた。生身の人間同士で行うTRPGでは、対話や議論を通してでしか物語を体験することはできない。議論を何度も繰り返して物語としての魅力を最大化していく中で、受講生たちは対話の重要性に気づき、他者との協働力を獲得していく。
授業は隔週土曜日、5時間の集中講義形式で実施され、4学期制のうちの2学期分(8回の講義)を1ターンとしてプログラムが組まれている※。まず1学期目は、何十ページにもわたる設定資料や物語の小説パートを各々が熟読し、ゲームの世界観を深く理解したうえで議論や小テストが行われる。また、「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「鬼滅の刃」など馴染み深いアニメ作品を題材にした、物語の構造論・キャラクター論の講義などもある。
※3・4学期には、同内容の講義が繰り返し行われる。
ゲームの核となるキャラクターの設定に1学期を費やす
1学期のゴールは、ゲームに参加する自身のキャラクターを完成させること。さまざまな能力値は、ダイスの目によってランダムに割り振られるため自由に設定することはできず、無敵のチートキャラは作り出せない。それぞれに強み、弱みを持ったさまざまなキャラクターの素材が受講生たちに与えられる。
講座で作成した「キャラクターメイキング・ガイドビデオ」などを頼りに、各受講生は1学期最後の講義までに、自分の分身であるキャラクターを細かく設定した「キャラクターシート」と、キャラクターを取り巻く環境や世界を考察する「深堀りシート」を提出する。しかし、初回で「合格」をもらえる受講生はほぼ皆無だ。
「性格やその他の特性について、『ダイスで設定された』とだけ記入する学生もいますが、それでは不十分。設定資料集からくみ取れる地理的・歴史的な事柄、家族構成などを深く考察し、その人格になるに至った理由や記憶にまで思いを広げていく。つまり、一人分の思い出を丸ごと作り上げなくてはなりません」と才士准教授は指摘する。
人格形成の理由を劇的なエピソードに頼り、その設定や影響がキャラクターの造形に生かし切れていないケースも多い。また、日々の営みの描写についても、例えばアルバイトをしているという事実だけでなく、その目的、家庭の経済状況、家業の将来性などにまで言及した説得力を求めていく。講師・TAへの質問や個別指導を繰り返すことで、「他者の視点」を獲得し、独りよがりではない客観的なキャラクターを完成させて、2学期のゲーム開始を迎える。
当事者意識を持って社会課題に取り組む疑似体験としての機能
ゲームがスタートしてからも、受講生たちの苦悩は続く。プレイヤー自身と設定キャラクターの人格のギャップが主な原因だ。そのキャラクターらしからぬ発言や、設定能力を超えた行動を選択した場合、「それはキャラクターの判断ですか? プレイヤーとしてのあなたの意見ではないですか?」など、メディエーターや他のプレイヤーからの指摘を受けてゲームはしばしば中断される。そしてその矛盾が解消されるまで、次のステージに進むことはできない。
「シートに則ってキャラクターを動かしていくのですが、自分でない誰かになり切るはずが、自分自身がにじみ出てしまうことがあります。それを周りから指摘された時に初めて、自分の性格や特性に気づくことができるのも、このプログラムの特徴です」と語るのは、スタート時からプログラムの開発に携わってきた同大学院生の孝壽真治さん。
ゲーム自体はフィクションだが、その中で直面するさまざまなアクシデントは、現実社会でも形を変えて起こりうるものとして設定されている。受講生たちは、課題に対して対話や議論を繰り返していく中で、選択のミスを後悔したり、ミッション成功に喜んだりを繰り返す。その体験の一つ一つが、当事者意識を持って社会課題に取り組む疑似体験としての機能も果たしている。そして、ゲームの進行とともに、コミュニケーション能力や創造性、批判的思考を習得し、明確な答えを出せない問いがあふれる現代社会で、容易な解決法を拒み、安易に納得しないという能力「ネガティブ・ケイパビリティ」を養っていく。
「ある学生が、体調を崩してゲームの最後の回に出席できないことがありました。死んでしまったことにしてゲームを続行しようという意見もありましたが、気絶をしていることにして一緒に脱出するという提案が採用されました。その学生が演じてきたキャラクターも物語の中で生きるし、あえて困難な状況を受け入れることで新たな課題も生まれます。設定にはないイレギュラーなアクシデントに向かい合う、良い機会となりました」(才士准教授)
ゲーム終了後、2学期目最後の授業は、これまでの振り返りに当てられる。受講生はそれぞれ授業の目的をどう捉えたか、そしてこの授業を通して得られたことを中心にプレゼンシートに落とし込んで提出する。「SNSにおけるインスタントなやり取りは思考を咀嚼する時間と余裕を奪ってしまう。もっと丁寧なコミュニケーションが求められることに気がついた」「自分の視点、キャラクターの視点、周囲の視点、全体を俯瞰する視点とさまざまな視点を意識することで、多面的な思考が可能になった」「準備段階で資料を調べたことも含め、改めて社会問題に向き合うきっかけとなった」といった感想が寄せられる中、「人生の主人公は自分だということを知った」という感想に才士准教授は注目する。
「この当たり前の考え方が欠落している学生が割と多いんです。また、自らを社会の中で代替えの利くモブキャラと悪びれることもなく表現し、『モブなりにキラリと光る生き方を探す』という学生も毎年必ずいます。大学で研究テーマを見つけて学んでいる時点で、決してモブではありません。こういう学生にこそ、本プログラムを通して本当の自分を探し出してもらいたいと思っています」
大学生の権利と本分を考えてもらう一助に
TRPGを通して気付きを得る講義と並行して、2023年度からはメディエーターを育成する講義も3・4学期に開講されている。メディエーターは、シナリオによって提示された物語内の状況を説明したり、ルールやダイスを使って行動の成否を判定することでゲームの進行を管理するため、物語やその世界観をより深く理解する必要がある。
メディエーターの育成は、講座全体を発展させるためにも必要だ。本講義では実際にゲームを進行する際に必要な視点や考え方を、実際にゲームを進行する様子や投げかける問いについて議論しながら学んでいく。
2023年度の講義全体の受講者は、ほぼ全学部を横断する形で114名に上った。また、講義はすべて対面形式で行われたが、オンラインでの参加が可能な受講生には遠隔での参加を認め、学内の映像制作スタジオを活用して対応システムも構築された。
2024年度は、本講義の周知をさらに広めるため、同大学の美術教師養成課程の学生たちの協力のもと、キャラクターデザインやゲームの世界観を表現するビジュアルを作成。マニュアルと紹介動画の制作が予定されている。また、ニューヨーク市立大学との交流事業においては、都市の社会課題に関する情報交換に加え、「言の葉の探究者たち」の翻訳版の作成などに関する協議も進められている。さらに、岡山理科大学附属高等学校の通信制課程で、本プログラムの圧縮版を試験的に運用する計画も動き出した。
「おk(OK)」「それな(そうだね)」「り(了解)」で完結するコミュニケーションも、一つの文化として尊重できる。一方で、さまざまな情報を自分の中に取り込み、それを知識として昇華させ、言葉を尽くして伝え合うことも、人間の営みにおいては必須だ。
「当たり前のことですが、大学生って研究者なんです。ウェブ上で簡単に拾うことができる情報を貼り付けるだけでなく、大学の資源をフルに活用し、議論を重ねてさまざまな問いに向き合っていく。この講義が、本来享受すべき大学生の権利と本分を考えてもらう一助になればと願っています」(才士准教授)