東京大学教授
大島 まり氏
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平野 信行理事長
新しい価値を生み出す多様性に不可欠な「女性の理系進出」を応援科学的知見をベースにした「総合知」で社会課題に挑む人材の育成に向けて
8月27日に、理系を目指す女子高校生を応援するオンラインセミナーを今年初めて開催し、財団のアドバイザリーボードメンバーのお一人でもある、東京大学生産技術研究所の大島まり教授にご協力いただきました。同セミナーを振り返るとともに、日本の教育における現代の課題、今後の財団の展望について、平野理事長と語っていただきました。
※役職名は掲載当時のものです。
日本の「女性の理系進出」を阻む二つの課題
平野理系を目指す女子高校生を対象とした「RIKEI BLOSSOM」のオンラインセミナーの冒頭で、大島先生には社会における理系分野のすそ野の広がりや社会課題の解決に向けた理系を含めたさまざまな分野との連携などについてお話しいただきました。当日は124人の高校生が参加し、大島先生に多くの質問が寄せられてましたね。
大島高校生の皆さんに熱心に聞いていただき嬉しく思いましたし、今の高校生はこんなことを考えているんだということも分かって、とても新鮮でした。
平野そもそも本セミナーは、日本の女性が理系に進学し専攻する比率が先進国の中で飛びぬけて低いという危機感から企画したものです。日本は、15歳を対象とした国際的な学習到達度テストPISAでは、男女の差もないし、理科・数学のレベルも高い。しかし、これが大学進学となると極端に理系に進む女性が少なくなる。
こうした状況になっている要因は、「女の子は理系が苦手」といったアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)が日本に根強く残っていること、さらにキャリアが見えないことにあると考えています。そこで、今回三菱グループの若手女性社員25人に協力してもらい、理系を専攻している女子大学生と共に、少人数のグループディスカッションで仕事のことを話してもらったり、高校生からの質問に答えてもらったりしました。参加者の話を聞いてみると、理系の専攻に不安を感じている人が多く、それに対する社員の回答は、「これから先いろいろな可能性があるから、今はあまり進路を狭めないで考えたほうがいい」と言うもので、参加者からは「気持ちが楽になった」といった声があり、とても興味深く感じました。
大島目の前にある大学受験や、今は人生100年といわれている長い人生の中でどのように生きていけばいいのかなど、高校生には様々な不安がありますよね。今回、生き生きと働く女性のお話を聞けて、すごく励みになったんじゃないかなと思います。私も、三菱グループの皆さんのお仕事の、知っているようで知らなかった面を知ることができて興味深かったですし、高校生の皆さんにはとても参考になったんじゃないでしょうか。
平野理系というと研究職やモノ作りというイメージがありますが、今回は意図的に、商社や金融、不動産開発の分野で、営業や企画、リスク管理など多様な業種に就いている社員に協力をお願いしました。参加者には、活躍できる場が思った以上にあると理解してもらえたんだと思います。最近は、会社のトップも理系出身が多くなってきましたね。私の後任の三菱UFJ銀行の社長も実は数学科出身です。
大島ここ20年ぐらいで変わってきましたね。以前は理系・文系と明確に分かれていて、それぞれのエキスパートが活躍していました。ところが今は、どのような分野であれITなくしては仕事が成り立たなくなっていて、社会では思っている以上に理系分野のすそ野が広がってきています。しかし、学校の勉強はどうしても数学、理科と教科ごとになるので、それらが社会の中でどうつながっているのかが見えにくい。特に女性の場合は、理系の女性が周りに少ないことから、どういうことをしているのか情報が入らないという悪循環になっています。今回の「RIKEI BLOSSOM」を通して、理系の女性が活躍するフィールドは技術者や研究者だけでないと、気づきを与えられたことは大きな意義があったと思います。
社会課題解決には、科学的知見をベースとした「総合知」が必須
大島私が室長を務めている次世代育成オフィス(ONG:Office for the Next Generation)は、東京大学生産技術研究所(東大生研)が産業界と連携し、最先端科学技術の学校教育への導入を目指すという目的のもと、2011年に設立されました。その背景には、「科学で問うことはできても、科学だけで解決はできない」という課題が浮き彫りになってきたことがあります。課題解決の際には、ある程度の理系の素養を持ちながら、それを社会に応用するにはどうしたらいいのかを考える力が必要です。
平野そのことが顕著になった最近の事例としては、新型コロナの問題ですね。最初の頃は医学や疫学の専門家が前面に出ていましたが、その後には社会経済活動への影響面で経済学者、行動制約の法的な問題で法律の専門家、現状把握と対策立案のために統計学者がと、さまざまな分野の専門家が集まりました。最近は「総合知」と呼ばれ、総合的なものの考え方の重要性が認識されてきていますが、そのベースにはやはり科学的知見は必要になってくるわけです。
大島おっしゃる通りですね。ONGとして、この10年間、産業界・教育界に地域も含めた産学民連携で、教科・科目横断のSTEAM教育プログラムの開発を進めるとともに、理系に限らずイノベーションを創出する人材育成に向けた教育活動のデザインを行ってきました。その結果、大きな変化が生まれています。その一つが若い世代の自発的な動きです。これまでの教育はトップダウンの一方通行でしたが、若い世代が自ら社会的な課題に取り組む、ボトムアップの動きが出てきたのです。非常にいい流れになってきていると思っています。
平野私も同じことを感じています。既存の社会の在り方に対して疑問を感じている学生、若手社員が間違いなく増えてきていて、そうした人たちがスタートアップを立ち上げている。次世代が果たす役割は、極めて大きくなっています。この財団を立ち上げた意義の一つはそこにあります。
大島もう一つは多様性ですね。日本の教育現場は、米国に比べると宗教や国籍の多様性が低く、さらにジェンダーの多様性が欠如していると思われます。そうした中で、理系の女性支援という面では、進学だけではなく、幼少からの教育環境をどう整えていくかというトータルでとらえる取り組みが始まっているのも、ここ10年の大きな変化の一つだと思います。
平野私も、日本の経済活動の「失われた30年間」と呼ばれる停滞要因の一つは、多様性の欠如にあったと思っています。高度成長期からバブルのピークを迎えるまでは、大量生産方式が適していた時代で、教育でも皆が一律の教育を授け、商品も人間も“品質”が揃っていた方が時代には合っていた。しかしバブルが崩壊し、既成概念をいったん捨てて新しい対応をしなければいけないとなったときに、それができなかった。一方、米国はさまざまな人たちが集まり、その多様性が新しいものを創造する力の源泉になって、今の経済の活力があるわけです。
世界との差を縮めるためにも、日本は今こそ、学校教育の現場でも多様な人材を育成していかなければなりません。自分の頭で考え、さまざまな社会のステークホルダーに対して意思疎通を図り、自ら行動する。そうした人材の育成は、大学からではなく、初等・中等教育から行う必要があって、それがまさに財団で取り組もうとしていることです。
大島先ほど平野理事長のお話にもあった「総合知」にも通じる話ですが、この10年で文理融合の関心も高まってきたと感じています。どうしても日本の教育は文理選択の傾向が強いのですが、その垣根を外してSTEAM教育を取り入れて教科横断型で考えていく。そうした現場が増えてきていると思います。
自分自身の体験を振り返ってみても、大学受験のために何かを「捨てる」ことが多いのではないかと思います。例えば、私は高校時代に古文が苦手で、理系を選択したため、あまり勉強をしませんでした。しかし、後にMITに留学した時に源氏物語のことを聞かれ、高校の時に学んだことが大変役立ちました。まさしく、これが教養であり、無駄だと思っていることでも何十年か後に役に立つことがあるんだと実感しました。今は、点を取るために捨てるという選択をする人がいるでしょうが、大学での教養教育も視野に入れてポジティブな要素として入試に生かせないかと思います。先ほど静嘉堂の俵屋宗達「源氏物語関屋・澪標図屏風」を見て思い出しました。
助成先同士の自発的なコラボレーション
平野財団の活動ももうすぐ4年目に入ろうという段階になってきました。改めて活動を振り返りますと、事業の柱の一つが助成になります。大島先生がご指摘されましたが、高校教育は受験勉強特化型となっていて、空白になっているのではないか。受験科目だけを勉強し、偏った人材になりかねない。それを変えていかないと、日本の社会は今の停滞から抜け出せないし、世界との格差がますます広がります。
そこで、今年から学習指導要領に取り入れられた、高校3年間における「総合的な探究の学習」のプログラムを一緒に作っていく取り組みをスタートさせました。あわせて高校だけではなく、大学・NPO・株式会社等が取り組んでいる「心のエンジンを駆動させるプログラム」、「先端・異能発掘・育成プログラム」、社会課題解決に必要となる基礎的素養と解決策を導き出すための世界観・価値軸を身に付ける「21世紀型の教養教育プログラム」への助成も行っています。これらは15歳~20歳の一番感受性豊かで、その期間に人格が形成される世代を対象としたプログラムですが、一方で先生方を対象に、探究型学習を行う人材育成プログラムの助成も始めました。
課題のもう一つは、探究学習の評価の仕方です。心のエンジンを駆動して、主体的に行動できるようになったかを測る方法は、これまでのテストの採点よりもはるかに難しい。そこで、シンクタンクの三菱UFJリサーチ&コンサルティング社に依頼して、アンケート方式で助成先の生徒たち意識の変化を追いかけるリサーチをしています。これまでに出てきている仮説だと、心のエンジンをうまく駆動できた場合に何が起きるかといえば、自己肯定感が高まるんですね。自分に自信がなければ将来に不安が出るわけですが、自己肯定感が高まれば将来の自分に対して積極的に評価し、リスクが取れるようになるんです。さらに現在の自分、将来の自分だけではなく、過去の自分に対しても、「これまでやってきたことは間違っていなかった」と肯定感が高まることが分かってきました。正直、マジックかと思いましたが、こうした仮説が出てきているのは事実ですから、よりリサーチを進めて明確にしていきたいと考えています。
ちょっと話が前後しますが、さきほど話したマイノリティとなっている先生たちの“仲間づくり”として、プラットフォーム事業を助成事業と並行して進めています。助成先同士でのオンライン交流会を企画し、お互いの気づきや悩み、アイデアを交換し合う場を設けています。オンラインだけではなく、いわゆる三現主義(現場・現物・現実の3つの「現」を重視する考え方)に基づいて、財団スタッフが全国各地の助成先に足を運び、現場の状況や悩み・課題を聞いて、助成先同士をマッチングさせるということも行っています。最近は、助成先同士が交流会を通じて自発的にコラボレーションする事例がいくつも出てきました。カテゴリーの枠を超えての交流はまさに多様性であり、こうした動きが広がっていることをうれしく思っています。財団が触媒役となって、この3年間で助成を行った220団体の皆さんが、それぞれ自発的に新しいムーブメントを起こしてくれることを期待しています。最近大学の役割も触媒役となることも多くなってきていますね。
大島そうですね。ONGもそのような場の提供になりつつあります。ONGの組織自体は10人もいませんが、東大生研に所属している教員は140人ぐらいいます。例えば、講演のニーズがあれば、適した先生に依頼していますが、こうした出張授業は一回で終わってしまいます。そこで、映像教材や実験教材を制作して、出張授業の内容に基づいてパッケージング化して使えるように、教育コンテンツ化も進めています。
対談場所となった静嘉堂文庫美術館では、
国宝である曜変天目(稲葉天目)を常設展示中
プラットフォーム事業をいかに深化させるか
大島アドバイザリーボードメンバーとして3年間関わらせていただき、日本全国で理念を行動に移している財団の活動は、本当に素晴らしいと思っています。私たちも、研究者の成果をいかに教育に役立てていくかを常に考え、工夫をしていますので、同じ志を持つ財団の活動を心強く感じています。特に「トライ・アンド・エラー」をされているということを評価しています。助成先は失敗してはいけないとの思いを持って取り組んでいますが、うまくいかない場合もあります。期待していた成果が助成期間中に出せなかったとしても、財団としてその結果を受け止め、また、何が問題で次に何をすべきかをきちんと分析されていますよね。
平野ありがとうございます。アドバイザリーボードや評議員、理事の皆さんからは一定の評価を頂いていますが、もっと広く財団の志を浸透させ、社会的認知度を上げていくことが大切だと考えています。その施策の一つして、来年初めに本を出版する予定です。専門書ではなく一般書として制作中で、ぜひ保護者、またビジネスの現場にいる方々に読んでほしいと思っています。会社員の多くも一人の親であって、「このままでは日本経済は立ち行かない」とビジネスの現場で感じている危機感が、教育現場で起きている課題とつながっていると感じてもらえば、保護者の意識もだいぶ変わってくるんじゃないかと思っています。 その他、財団に期待されることはありますか?
大島先ほどプラットフォーム事業のお話がありましたが、最近はいろいろなところで「プラットフォーム」という言葉が使われていますね。私もONGのプラットフォームや、自分の研究のプラットフォームの構築に頭を悩ませています。財団には何をもってプラットフォームというのか、その点についてもっと踏み込んでいただければと思っています。悩みや課題を共有する場を提供されているというお話がありましたが、助成先同士がアドバイスしあって次につなげ、それらを検証して共有できる仕組みがあればよりプラットフォームとしての機能が深化されますよね。そうしたことが提示できるといいなと思います。
平野大島さんのようにアドバイザリーボードメンバーの皆さんには、いつもズバリ言っていただけることをとてもありがたく思っています。われわれも単に通り一遍の活動報告をしているわけでなく、赤裸々にうまくいっていないこともお伝えしてご助言やご意見をいただいています。
財団は発足以来、「10年の時限」という宿命を抱えています。ビジネスの世界では当然のことですが、時間軸の中で計画があって、実践し、進捗を常にチェックして、レビューを行い次のステージに進んでいかなければなりません。一方で、教育は時間がかかるものです。1年で人や制度が大きく変わることはあり得ません。だからこそ、失敗してもすぐに改めるサイクルを高速で回しています。助成先に対しても、趣旨から外れなければ自由に助成金を使っていただく。助成先もわれわれもダイナミックに動態的に動く。それがこの財団の強みです。われわれの活動期限は10年ですが、その後も展開できる活動があるのではないか。そんなことも最近検討し始めています。
10年という宿命を持ちながらも、より良い日本と世界を築く次世代の教育を変えていくというわれわれの思いをぜひとも形に変えていきたいと思っていますので、大島先生をはじめ、財団を支えてくださる皆さんのご協力を引き続きよろしくお願いしたいと思います。